はあるコブダイでしたこうなったら,時間をかけて相手が弱るまでやりとりしたろうと思いましたハリスが,なので切れないように・・・そして シープスキン アグ,1,25号の竿が折れないようにと願いながら・・・テンションぎりぎりまで耐えていました。しかし,容赦ありません。ギュンレバーブレーキからシュル・・・シュル・・・シュル・・・と糸が出ていきます。
ストゥージズはファーストとセカンド『ファン・ハウス』がセールス的に苦戦するとそのままエレクトラとの契約を打ち切られ、活動休止状態に陥るが シープスキン アグ、イギーはこの時期にデヴィッド・ボウイと知り合うことになり、ボウイのつてでイギリスのコロムビアとの契約にありつき、セカンド・ギタリストのジェイムス・ウィリアムソンとロンドンに渡ってレコーディングを試みるが、この時期、スコットとスコットの兄でストゥージズのオリジナル・ギタリストだったロンの二人とのコミュニケーションはあまりうまくいっていなかったとイギーは振り返っている。イギーは当初ロンドンでミュージシャンを見つけてレコーディングをするつもりだったが、ジェイムスのたっての要望でスコットとロンをロンドンに呼び寄せることになったとイギーは明らかにしている シープスキン アグ。ただ、ロンはベースへの転向を余儀なくされ、1973年の『淫力魔神(ロー・パワー)』が制作されることになったストゥージズ解散後もスコットは、イギーとジャム・セッションなどを続けていたというが、イギーの要望でバンド結成についてはしかるべき時期を見極めていたという。